2018年の記憶

この文章は、2018年の記憶をその場で思い出して書き綴る、その場書き下ろしです。

“出会い”と“別れ”3月

──2018年の最初の記憶といえばここ。
オーディション用デモ音源を送ってからしばらく経って、2月10日に連絡が来た。
「一次審査突破」
嬉しくてしょうがなかった。
──3月10日。
会場審査で歌った3曲。
緊張していた割の出来。
落ちても悔いはなかった。
数日後に携帯電話が鳴った。
「おめでとうございます」
「2次審査突破です」
何万の応募から、ついに最終審査。
3人に絞られた状態から、2人を引き抜くというなんとも斬新な審査。
2曲歌い終え、審査員をしている本人から「〇〇〇〇〇〇〇のサビを歌ってほしい」と言われ、アカペラで歌う。
──その場での合格発表。
「合格」
たったの2文字が、スローモーションのようにゆっくりと聞こえた。
お別れしたくない人たちがたくさんいて、心も落ち着かないまま春の風が吹く。
そうやって、これまでたくさんの人たちとお別れをしてきた。
どんなに悲しくても、辛くても、どれだけ寂しくても、現実は変わらない。
それでも「悲しい」と思うのは、おかしいだろうか。
出会ってから2年間、ずっと一緒だった人が突然いなくなると知ったら、あなたは「悲しい」と思わないのか。
途方にくれた3月。

 ──出会いに別れはつきものだよと誰かが言った。

3月のbest song

Mr.Children 祈り〜涙の軌道〜


不安でいっぱい 4月

春休みは眠れない日が続いた。
“受験生”という実感も湧かないまま高校3年生になった。
クラスには旧3組のメンバーがたくさんいた。
別にそれがどうってわけでもないけど。
クラスに松田が3人もいる。
コウコウサンネンセイニナッタという感覚が鈍いながら、1つ1つ事実を知り、噛み砕いて理解していた。
でもそこに“ワタシ”という存在はなかった。 

──そこにいたのは、ツギハギでできたわたしだった。

4月のbest song

Rihwa 春風


泣いてばっかり 5月

よくもまぁ、涙も枯れず毎日毎日泣いていたもんだ。
過去を振り返ってもそう思う。
泣いていた理由は、今考えればアホらしかった。
まぁ、自分らしいっちゃらしいのだけれど。
泣いている私とちゃんと向き合ってくれた先生。
4月に声をかけてくれて仲良くなった先生。去年からお世話になってる先生。
私にとって“先生”という存在価値は高かった。
先生がいなかったら、今の私はないし、ましてや教師なんて目指していなかった。
“ワタシ”という存在を自分自身で確認できたのも先生たちのおかげ。先生が導き出したもの、それは ──

──記録帳

それが存在確認するための道具。

5月の best song

DEAN FUJIOKA History Maker


最後の体育祭 6月

学生生活最後なんじゃないかって思う。
この時、仲良くなってまもない先生たちに「ワタシ」はこんな人ですって説明できた日だった。
カメラを持って走り、ファインダー越しに世界を見ていた。
バトンを持って走り、目の前の世界を見ていた。
マスコットで賞を取れなかった時の悔しさは今でも覚えている。
ギュッと握りしめた手の中には、先生の投票用紙が6枚。
私の作品に投票してくれていた紙を、開票した先生にもらった。嬉しさと悔しさが入り混じった。
握りしめた投票用紙は、うっすら茶色く汚れ、クシャクシャになって、涙で少しよれていた。

6月のbest song

phatmans after school 

オーバートイ


暑くてしょうがない7月

クーラーの効いた涼しい教室に吹き込んだ夏の風。少し湿った夏の匂い。
1つ1つの記憶があまりにも鮮明に残っている。
汗の滲んだYシャツが、夏の風になびく。
自転車のペダルを踏み込み、坂道を登る。

──坂を登りきった先に見える景色は。

7月のbest song

Mr.Children ヒカリノアトリエ


学生生活の折り返し

夏休み8月

8月18日。
訳あって、直接お声かけいただいて、レコーディングに参加することになった。
嬉しさのあまり拍子抜けしそうな自分が「いなかった」といえば嘘になる。
ここでも新曲のレコーディング。
〇〇〇〇〇と□□□□□□□□をその場で聴いて、その場で覚えて歌うのはしんどかった。
車の送迎があったり、本人が生歌を披露してくれたり、貴重な体験ができた。
8月25日。
2回目のレコーディング。
□□□□□□□□の撮り直しと、〇〇〇〇〇〇〇〇のレコーディング。
覚えるのが至難の技ではあったが、貴重な体験ができた。
サインまで頂いた。
夏休み中、何日か登校する日があった。
特別授業をしてもらうために、自転車を漕いで学校に向かった。
私を追い越していく風は、少しだけ涼しかった。
忘れていた夏の記憶は、耳元を吹き抜けた風が呼び戻してくれた。
忘れてはならない夏の記憶。

8月のbest song

三浦大知 be myself


文化祭準備期間が

1番の記憶9月

ポスターが採用されて、写真部の装飾代表として動くことが決まっていた。
アーチデザインを任された。
夏休み中に何度か執り行われた会議にアーチ作成者として参加を求められた。
夏休み中に作成を頼まれていた模型が仕上がっていて、作成に携わる先生たちに見せた日もあった。先生たちは口を揃えて「マジでやんの?」と言った。
ただ「まぁ、お前の最後の作品を一緒に作って完成させられるならいいか。」そう言ってくれる先生もいた。
木材の用意も、色ぬりも、下準備は済んでいて、あとは運んで組み立てるだけの状態で迎えた最後の会議。
手順から組み立て方からなにからなにまで、先生と重ねた会議が動きに変わる。
会議を終えて、木材運びへと切り替わった。
先生たちと道具や木材全てを運んで組み立てが始まった。
10:00から始めた組み立てが終わったのは19:00のこと。
9時間もの間、お昼も、休憩も、先生たちと一緒に過ごした。
記憶にはがっつり残っている。
だから、完成させた時の達成感は未だに忘れられない。
完成させたあの瞬間、嬉しさからか泣いたのを覚えている。
「また泣いてるよ!」って言い出した先生は「あ、お前!泣かせたのか!!」ってからかわれ、なんとも不思議な時間を過ごした。
翌日は、パネルあげの仕事があって、これもまた先生たちと一緒だった。
重労働で、高所で命綱なしの活動だったこともあり「生徒は禁止」と言われていたが「私は自分の作品を、人に丸投げして、お客さんに見てもらいたくはない」と意見を言うと気をつけなさいと活動を許可してくれた。
重さが10kgを超えるパネルを16枚。
先生たちと運び、持ち上げ、固定したた。
私の持ち前の能力を最大限に活かせたのは、後にも先にもここだけだったと思う。

──楽しかったあの日の記憶。

9月のbest song

Mr.Children 終わりなき旅


嫌なことから

逃げようとした10月

「受験生」という実感が湧いてきて、勉強が思うように進まない苛立ちが多かった。
できない自分が嫌、勉強するのが嫌。
嫌、いや、イヤ。
嫌なことばかりで、逃げ出したくなる時もあった。
苦しい。辞めたい。悔しい。
そうやって、逃げ出したくなる自分にストッパーをかけて、逃げ出さないようにしていた。

──逃げ出すことから逃げ出した10月の肌寒い夜。

10月のbest song

米津玄師 LOSER


壁にぶち当たった11月

毎日が苦しくて、何もかも投げ出したいと、辞めてしまいたいと思ったあの日。
忘れたくてしょうがない11月。
私の「その気」を消し去ってくれたある先生がいたおかげで、その壁を乗り越えることができた。
先生は「お前はまだ100%じゃない」そう言った。
「もっとできるだろ?それがお前の本気?」そう言って私のやる気に火をつけた。
「教師になりたいんじゃないの?違うの?」
「まだ足りないよ。」
「俺は、お前がちゃんとやってくれるやつだと思ってるよ。」
そうやってこれまで数々の言葉をくれた。
この時も、私に厳しく、でも優しく怒ってくれた。
これであと数ヶ月頑張れると思った。
DEAN FUJIOKAにも会えて、受験頑張れって言ってもらえたので頑張ります。

11月のbest song

平井堅 瞳をとじて


あっという間に

過ぎ去った1年 12月

怒らせてはいけない人を怒らせた日も、悔し涙を流した日も、不安で追い込まれた日も全部1年の最後に訪れた。
先生を怒らせた時、自分の何が悪いのかわからなかった。
でも、謝って話をして誤解が解けた。
悪かったのはお互い様だった。
悔し涙も、不安も焦りも全部まとめて訪れた1年。
面白く、楽しい1年だった。
振り返ると、自分の中の思い出という思い出が巡ってくる。
楽しかったこと、面白かったこと、怒ったこと、笑ったこと、泣いたこと、悔しかったこと全部、1つ1つが大事な記憶で、忘れてはいけない記憶。
忘れたくない1年でした。
ありがとう。

12月のbest song

平井堅 ノンフィクション


振り返り

振り返りをひとまとめにするってとても難しいことで、1年間の振り返りなんてなおさら。
1ヶ月ごとに収めるのも大変だというのに。難しい。

今年は…

何個か前にも書きましたが。

局面打開

で頑張ってまいります。
よろしくお願い致します。

Nozomi Matsuda

If you become a teacher,exceed me.

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